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顔 脱毛を作った人たちの体験談です

研修は、最初の4週間に座学を受け、続く4週間にはレジの打ち方をはじめ、店舗運営の実務を中心としたものだったという。 しかし、Sをはじめ今回の研修メンバーにレジ打ちの練習をしている暇はない。

東京に帰れば、さっそくチェーン展開のための準備、つまりチェーン全体の運営や、店舗のリクルートなどを行なわなければならない。 心理的には、相当のプレッシャーと不安に見舞われていたのである。
そんな彼らの気持ちをよそに、米国流のマニュアル中心の研修を重ねるサウスランド社のやり方を見ているうちに、Sたち日本の側は、米国流との微妙な意識のずれをハダで感じ始めていたという。 それもそのはずである。
このときのメンバーは、のちにョ-クセブンが社名をSE・ジャパンと改称(祁年1月)してから後も、一大チェーンを築いていくうえで中核メンバーとして働くことになるのだが、うち半分のメンバーはイトーヨーカ堂どころか、スーパーの店頭でさえ働いた経験のない男たちだったのだ。 そもそも、SE・ジャパンの「創業者」といえるSと、その補佐役のFのうち、Fは都内の大学の短期大学部を出てからイトーヨーカ堂に入社し、直前は店舗開発総括マネージャーを勤めていたが、一方のSは途中入社で、しかも、小売りの売り場などにたったこともない経歴である。
Sは戦国時代の知将・真田幸村を生んだ長野県は上田市の近くでうまれた。 出身地を聞くだけで人となりが目に浮かぶほどだ。
いうまでもなく長野県、それも上田あたりは教育好きの土地柄。 Sも高校では勉強だけでなく、養蚕学まで身につけて、中央大学経済学部に進んだ。
その後、書籍取り次ぎの帝都出版販売に入社した。 ここでは、新刊本のニュースを編集する仕事についたが、学生時代の自治会書記長の経験からか、同社でも組合活動を経験している。
しかし、自分の世界をもっている作家や経済人と会うようになると、新刊ニュースだけでは満足できなくなってきた。 入社6~7年目のことだった。
そんなときに知人から、まだ東京の下町にわずか5店舗をもつだけだったイトーヨーカ堂の前身であるヨーカ堂を、再就職先として紹介されたのである。 Sは、書籍取り次ぎとはまったく違う職種で、企業規模も大きくないヨーカ堂について、正直いって気が進まなかったようだ。
しかし、知人の熱心な勧めで当時のI社長に会ってみた。 Iは、ちょうど欧米流通業界視察から帰国して、ヨーカ堂を下町のディスカウントストアからスーパーチェーンに飛躍させることを決心してから、日が浅いころだった。

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